黴ブログ

好きなものやことを、徒然なるまま書き散らす。

どこまでも人間臭いそんなあなたが好き syrup16g『delaidback』発売決定

先日アマゾンにて、「お客様におすすめのニューリリース」の欄をボケーっと眺めていたところ、その中に「syrup16g」の文字を見つけた。どうやら来たる11月8日に「delaidback」という新譜が発売されるらしい。うおお、マジか。たまにはニューリリースの欄も見てみるものですね。知らずにスルーするの回避出来て良かったわい。嬉しくて思わず、うひょひょひょ!と部屋で小躍りしてしまいましたよ、ぼかぁ。

 

delaidback

delaidback

 

 

かつての名盤「delayed」や「delayedead」に次いで、「ディレイ」をタイトルに冠した本作。期待値がブチ上がる中、公式サイトをチェックしてみるとどうやらライブでのみ演奏されて、これまでCDには収録されていない楽曲を音源化したものらしい。今や伝説となった2013年の五十嵐隆氏の復活ライブ・生還で演奏された「赤いカラス」や「透明な日」といった楽曲から、古いものでは97年頃の「開けられずじまいの心の窓から」や「夢みたい」といった楽曲も収録されるとのこと。今から楽しみ過ぎる。ドキがムネムネだわいな。

 

そんな中でも特に、当時生還ライブのチケットが取れずに悔しさの中、DVDを発売当日にタワーレコードにカチ込んで入手した僕としては「赤いカラス」の収録に喜びを隠せない。syrup16g解散後に結成されて音源のリリースもないまま解散した、犬が吠える時代に作られたこの楽曲。生還ライブのDVDにて始めて聴いたのだが、哀愁が凄い。そしてビックリするくらい良い曲。

 

何も出来ないまま、無為に時間を浪費するだけの自分を嘲るように、淡々と進行するこの曲。それでいて寂しく肩を落としながら、弱音をポツリとこぼすような風景が浮かぶ美しいメロディと演奏に、DVDを観ながら友人と「この曲、すげぇや。。」と夢中になって聴いた思い出。何というか、頑張ってもダメで、上手にやれなくて、でもそれじゃ生きていけなくて。そんなしょうもないクソッタレな自分を、「ヘヘッ」と笑いながらも泣いているような哀愁を感じて、どうしようもなく心をギュッと掴まれてしまったのである。

 

しかし考えてみればこの人はいつだってそうで、自分のことを怖いくらいに冷静に客観視して「俺全然だめだなあ、ヘヘッ」と嘲りながら下向いて歩いているような、そんな気がする。いってしまえばダメ人間度合がありあまる程にバリバリなのだが、そんな姿がどこまでもリアリティがあって、「ダメだなぁ、この人」なんてどうしても笑えない。何故か心をギュッと掴まれてしまうのである。どうしてこうもsyrup16gの音楽に心惹かれてしまうのかといえば、人が誰しも蓋をしがちな暗い部分に光を当てるような、そんな圧倒的なリアリティと人間臭さがあるからなんだろうなーと思う。

 

「暗い」だの「鬱ロック」だのいわれがちだけれども、彼らの音楽の魅力はそんな表面的な部分では無くて、そうしたどこまでも人間らしい、人間臭さにあるのではないだろうか。

 

の僕の大好きな曲のひとつに、「明日を落としても」という曲がある。もしも人生で影響を受けた曲10曲挙げて、といわれたら確実にランクインする1曲だ。

 

機械みたいな声でサヨナラされて それでも何か傷ついて

誰も愛せなくて愛されないなら 無理して生きてることもない

明日を落としても 誰も拾ってくれないよ それでいいよ

syrup16g『明日を落としても』より引用 作詞作曲五十嵐隆

 

と、厭世的な気分を引きずって、どこまでも自暴自棄で突き放したような言葉を呟きながらも、曲中そんな言葉を吐くことで物事から目をそらしてごまかしてしまう自分を皮肉ったりしている。これで済ましてしまえばただ「暗い」で終わってしまう。しかし曲の後半部分、ボルテージを上げて疾走するようなギターソロの中で「Do you wanna die?」とシャウトを繰り返して曲は終わるのである。

 

「無理して生きてることもない」と突き放してごまかしながら生きる自分に、「それでお前、本当に死にたいの?」「本当にそう思ってんの?」と叫び、問いかける。そこに明確な答えは無いけれど、「かといって本当に死にたいのかよ?そうじゃ無いんじゃないの?」と葛藤する感情の揺らぎが込められている1曲だと思う。

 

「この曲はそんな曲じゃねーよ!あっちに行け!」という意見もあるかもしれないけれど、syrup16gの音楽を聴くたびに僕は、そんな一見矛盾したような、どちらにも振り切れずにもがくような、行き場の無い感情の揺らぎに突き抜けた人間臭さを感じてしまうんである。そしてどうしても心を揺さぶられてしまうのだ。

 

ネガティブかポジティブか、性格の傾向は人それぞれだけれどほとんどの人はそこまで極端ではなくて、その中間の「ネガティブな部分はあるけれどなるべくポジティブに頑張ろうとしている人」に当てはまるのではないかなーと思う。syrup16gの楽曲は僕を含めたそんな人たちの心の奥底にあって時々顔を出す、そんな部分に容赦なくグサグサと突き刺してくる音楽だと思うのだ。

 

中には痛いよぅ痛いよぅ、と拒絶する人もいるかもしれない。「そんなん気にせず上げていこうゼー!うぇーい!」という人もいるでしょう。しかし時にネガティブで時にポジティブな僕らには、テンションブチ上げ系の曲では踊れない日もある。そんな歌をやけに聴きたくなる時があるし、そんな歌がやけに優しく響く時がある。

 

そんな時彼らの音楽はいつだって、側にいてくれるような気がする。「あー分かるよ、しんどいよねぇ。。」なんて言いながら。そんなどこまでも人間臭く優しい、syrup16gの歌が僕は好き。

 

いやはやどうも長くなってしまった、乙女の手紙か。ではでは本日はこの辺で!delaidback、今からとても楽しみ。ばいちゃ。

 

本日のテーマソング

GRAPEVINE/everyman,everywhere

 

 

 

 

 

どこまでも歩いて行けるように靴を俺にくれ コンバースのジャックパーセルが欲しい

先日ツイッターを開いたら、遥か遠い昔に好きだったあの娘のアカウントを発見。「懐かしい~今何やってんだべが」と覗いてみれば今は結婚して立派なお母さんになっておった。年齢的に当然なのだけれど、こういう時に時の流れの早さを思い知りますね。

 

大槻ケンヂ氏のグミチョコレートパインなど数々の本に没頭し、毎日ギターはじいては最低の気分を抱いて方法論だけを磨いていた青春時代も今はもう昔。思い返せば結局あの娘とも累計3回くらい会話しただけで、卒業してそれっきりだ。最後までいちご100%のような奇跡は起きることはなかった。甘酸っぱいと言うよりはただただしょっぱいっすね。

 

そんな学生時代を振り返りながら、そっとブラウザを閉じた訳だが、時の流れって本当に早い。元気に笑っていたあの娘も今やかわいいお母さんで、僕は前髪の後退具合を気にするアラサー野郎だ。能天気な時代はとうに過ぎて、今はそれぞれ別の未来の為に歩いている。嗚呼それならば。

 

僕はどこまでも遠くまで歩いて行こうじゃないか。立ち止まってはいられないのだ。イケてなかった学生時代も遥か彼方に霞むくらいに遠くまで行きたい。どこまでも歩いて行けるような靴を俺にくれ。まあ要するに何が言いたいかというと、新しいスニーカーが今猛烈に欲しいのです。(話題の振り方強引か!)特にコンバースジャックパーセルが欲しい。

 

 

 こちらのジャックパーセル。ロックファンにはお馴染み、NIRVANAカート・コバーンが愛用していたことでも有名なスニーカーである。大学時代、カート・コバーンの影響で購入してからというもの虜になってしまい、履きつぶしては購入するを繰り返している。現在履いているもので4足目で、既に内部は破れ靴底も剥がれている有様だ。これは由々しき事態だ。

 

いい加減別ので良いんじゃないかなーとも思うのだけれど、毎回スニーカーを新調するたびにジャックパーセルを購入してしまう。たまにオールスターを履いてみるものの、「やっぱり俺、君じゃなきゃダメなんだ!」とすぐにジャックパーセルちゃんの元に戻ってきてしまう。僕たちは運命の赤い糸に繋がれた恋人たちのように、惹かれあう関係性なのである。愛してるぜベイベ

 

もしも人に「どうしてそんなにジャックパーセルが好きなんだい?」と聞かれたら、僕は「だって何にでも合わせやすいじゃない」と答えたい。そうこのジャックパーセル、何を履いて着ていようが関係なく、どんな服装にもマッチするのだ。

 

細身で特徴的なそのデザインは、ジーンズだろうがスキニーだろうがチノパンだろうが、どんなズボンをチョイスしても相性抜群だし、同じように上に何を着ても全く違和感がない。この服装を選ばない汎用性の高さが実に魅力的。服によって靴を選ぶとどうしても履かないものも増えてきちゃうしね。シックにもカジュアルにも相性の良い万能型で、ガンダムで言ったらゲルググとかその辺りのイメージ。そしてオールスターほど人とも被らないし、何だかちょっとロックな香りもする。あと中敷きがフワフワしてて歩きやすい。

 

こんな風に好きなポイントを挙げたらキリがないジャックパーセル。僕のこの愛は本物だ。やはりどう考えても、他のスニーカーをチョイスするのは考えられない。これからもそんな愛するジャックパーセルちゃんを履いて出掛けたいし、君とならどこまでも歩いて行ける気がするよ。一緒に遥か遠く彼方まで、歩いて行こうじゃないか。噓じゃないよ。本当さ。

 

ここのところ随分と天気が悪かったけれど、台風も過ぎればまた気持ちの良い、秋晴れの空に出会えるはず。そんな晴れの日は新調したスニーカーを履いて意気揚々とお散歩にでも出掛けたい、と思う。悪天候や台風はもうたくさんだ。嗚呼、晴れの日が待ち遠しい。

 

という訳で今ジャックパーセルが猛烈に欲しい、という記事でした。ちょっくらアマゾンで購入して来ます。それでは。

 

本日のテーマソング

加藤登紀子/時には昔の話を

 

こんな秋の夜長には鬱くしい人間賛歌を 鬼頭莫宏「なるたる」を読んだ

ここのところ寒い日が続いていますが、皆さんお元気ですか。僕はというと、余りの寒さに連日毛布の中でガタガタ震えています。さすが秋、寒さが半端ねえ。家の中でもライダース着てるぜ。暖房?東北出身をみくびるんじゃあないぜ。そんなん節約だぜ。そして日が落ちるのも早い。午後4時を回れば辺りはたちまちコーヒー色した闇に飲み込まれてしまう。

 

しかしそんな秋の夜長はお家で音楽を聴くのに持って来い、読書をするのに持って来いだ。つい先日も1作の漫画も読み終えたばかり。鬼頭莫宏氏のなるたるという漫画なのだけれど、これがまた凄いんである。ドキドキとワクワクを超えて、絶望感にマウントポジションで心をボコボコに殴られたような読後感。何だか怖いし悲しいしやるせない、しかしページをめくる手は止められない。ダークな内容なのにも関わらず、妙に引き込まれる漫画であった。

 

新装版 なるたる(1) (KCデラックス アフタヌーン)
 

 

こちらのなるたる、竜の子と呼ばれる物凄い力を持つ謎の生命体とリンクした、選ばれし少年少女達が残酷な運命の元に集い、次第に壮絶な戦いに巻き込まれていく、というストーリー。表紙のポケモンみたいな可愛いのがホシ丸と名付けられた竜の子で、それに乗ってる女の子が主人公のシーナ。

 

現代を舞台にしたSF物ともいうべきお話なのだが、可愛らしい表紙の絵に騙されてはならない。いざページをめくったならばそこに広がるのは、アウトレイジもビックリな生々しく残酷なセックス&バイオレンスな世界。殺し殺されてのヘビィな残酷描写のオンパレードなのである。

 

この竜の子と呼ばれる生命体、本気を出したら軍隊も手におえないような驚異的な力を持っている。そんな能力を駆使してある者は世界を崩壊させる為、ある者はそれを阻止する為、またある者は大切な人を守る為、ある者は自身を傷つける者に制裁を加える為、それぞれの理由と目的の為に戦いに投じていくのだが、その様がとにかくえげつない。

漫画にありがちなご都合主義は一切無しで、メインキャラもモブキャラも次々と命を落としていく。そしてそんな死は人の恨みや怒りに火をつけて、国や軍隊をも巻き込んで血を血で洗うような争いへ発展していくのだ。それぞれの想いが錯綜していく中で挿入される、少年少女達の内面を想像させる巧みな心理描写がまた痛々しい。とにかくバンバン人が死んでいくわやたら生々しい性的なシーンは多いわで、読んでいるとドッと重い疲労感に襲われて何だかもの悲しい気持ちになってしまう。しかし一方でこの漫画、人間的過ぎる程に人間を描いた、人間賛歌ともいうべき名作だと思う。

 

自分の愛する人を何としてでも守りたい、弱くて傷だらけの自分自身を守りたい、間違いだらけの世の中をどうにかして変えたい、大切な人を傷つけた奴をどうしても痛い目にあわせたい。ただ胸の中にあるのはそんな各々の燃えたぎる愛と正義。人の心というものは実に様々で、誰かにとっては悪でも、角度を変えれば他の誰かにとっては正義だったりもする。そして決して交わらないそんな気持ちは、どうしても争いに発展していってしまう。

 

しかし、例え傷ついて失ってしまうだけだとしても戦う彼らの心は、グロテスクでもある一方、どこまでもひたすらに透き通っていて純粋で美しい、とも思う。何かを変えたい、自分自身を、誰かを守りたい。これ全部、根底にあるものをすくい取ってみれば、ただ純粋な愛や正義だと思うのだ。例え血みどろの戦いの中であろうと、傷つき倒れようとも、全てが無駄に終わろうとも、彼らの心の底にあるそんな想いはどこまでも透き通っていて美しい。勧善懲悪では無い、そんなそれぞれの愛と正義をリアルで美しい筆致で描いた名作だと思います。

 

気温も低く静かで、どうにもセンチメンタルな雰囲気漂う夜が続いている今日この頃。愉快な映画や音楽も良いけれど、そんな秋の夜長だからこそ、敢えて鬱くしくも綺麗に透き通った人間賛歌に心を預けてみてはいかがでしょうか。なるたる、おススメです。

 

本日のテーマソング

LED ZEPPELIN/stairway to heaven

 

終わったつもりでもそうじゃねぇ eastern youthの新作「SONGentoJIYU」を聴いた

先日リリースされたばかりのeastern youthの新作「SONGentoJIYU」を聴いた。9月末に更新した記事で、先行公開されたソンゲントジユウを挙げさせて貰ったばかりだが、その名曲具合に負けない渾身の傑作であった。

 前作まで長い間ベースを務めた二宮氏脱退から、新メンバーに村岡ゆか氏を迎えてから初のeastern youthのニューアルバムである今作。「どうなるんだろう?」という不安と「イースタンならきっとこれまで以上にやってくれるはず!」という期待に、リリーズ前から待ちに待ったアルバムだったのだけれど、流石我らがeastern youth

ブチ上がった期待を裏切るどころかあっさりと越えていく、凄まじくカッコ良い新譜を届けてくれました。

 

SONGentoJIYU

SONGentoJIYU

 

 
一聴してまず驚いたのは村岡氏の巧みなベースの溶け込み具合。まるで長いこと一緒に活動してきたかのように、音楽にぴったりと寄り添いながらも、確実にバンドの音に新たな色を加えている。
ダイナミックに動き回るベースラインに加えて、時に和音を交え、時にスラップでファンキーにキメ、時にバックで正確にリズムを支えて、時にコーラスで曲に新たな表情を付けてと、新生eastern youthにおけるその存在感とセンスに脱帽。かつてbloodthirsty butchersに田淵ひさ子氏が加入した時のように、完全に確立されたと思われたその音楽に、演奏にまた新たな息吹を吹き込んでいるではないか。おおお、カッコ良い。

そんな本作「SONGentoJIYU」。アルバム全編を通して、かつてない程にほとばしる明るさとポジティブさに満ち満ちた、実にガツガツとしたハングリー精神の塊のようなアルバムになっているように感じました。
これまで一貫して歌われてきた怒りや焦燥感や力強い決意といった、良い意味で人間臭く泥臭い人間賛歌。そんなこれぞeastern youth!とも言うべきパワフルな楽曲に加えて、今回心をギュッと掴まれたのは「それでもやっていこうぜ!」と言わんばかりの圧倒的な明るさとポジティブさ。

そう、とにかく前向きで明るいんである。それも「きっと大丈夫だょ。自分も未来も信じて頑張ってLIけばき㋡と夢わ叶ゥょ☆」なんてのたまって根拠のない明るさをぶん投げて渡すようなポジティブではなく、絶望も悲しみも全部を全部受け入れた上で「かかってこんかい!」と宣戦布告するようなポジティブさ。

 

疾走感のあるメジャーコードが、暗闇を抜けた後のように爽やかに響き渡る07.口笛吹いて駆け抜けろでは、陽性のメロディに乗せて

割といい感じの気分なら 飛べそうな気もする

と力強く歌い出し、

ため息をみんなヤケッパチの歌に変えて今

超えてゆく 俺の答えさ

eastern youth『口笛吹いて駆け抜けろ』より引用 作詞作曲吉野寿

とアクセルを全開に踏み込むようなサビへと突入する。かっけぇ。最高か。

続く08.旅の空では変拍子的でテクニカルなドラムフレーズに乗せて、

立ち止まったって終わらねえ 終わったつもりでもそうじゃねぇ

と力強く決意表明。サビでは

あと一歩もう一歩 来る日も来る日も

あと一歩もう一歩 どこまでいっても

eastern youth『旅の空』より引用 作詞作曲吉野寿

とこれからも歩き続けるわ!と言わんばかりの、強い意志を感じさせるフレーズが心にじんわりと響く。

 

二宮氏の脱退から活動休止期間を経てリリースされた本作。長い長いトンネルを抜けた後で、終わったつもりでもそうじゃねぇ!と悔しさや苦しさをも超えて明るく全開でぶっ飛ばすような、世に溢れる困難やふと立ち止まってしまう瞬間にも果敢に立ち向かっていくような、そんな素晴らしい「歌」が詰まった良いアルバムだと思いました。
そこで鳴り響ているのは絶望や悲しみや苦難をも振り切って、歩いていく力強さと希望に満ち溢れた圧倒的なロックンロール。

 

日々生活していく上で壁や困難に足止めを喰らって、「もう終わりだ、もう前には進めねえ」と思わず呟いてしまう瞬間は数多い。けれど「もう終わり」と決めつけるのはいつだって自分自身で、そこから立ち上がって立ち向かっていくのもまた自分自身。eastern youthがいる限り、立ち止まったって終わらねぇ終わったつもりでもそうじゃねぇ、とどこまでも歩いて行けそうな気がします。

「よっしゃ、いくぞ!」と気合を入れたい、秋晴れの気持ちの良い朝に聴きたいアルバム。まだ未聴の方、是非。

 


eastern youth「ソンゲントジユウ」 ミュージックビデオ

 

本日のテーマソング

jimmy eat world/sweetness

浮気だの不倫だのが流行るそんな世の中に少女漫画を

ゲスの極み乙女の川谷氏とベッキー氏の不倫事件に始まり、国会議員の不倫騒動と最近やたらと不倫だの浮気だのが取り沙汰されて、ある種のブームみたいになっている今日この頃。テレビでも昼顔なるドラマが流行ったり、毎回そんな感じの番組ばかりで何だかダウナーな気持ちになることが多いのだけれど、皆様お元気でしょうか。お久しぶりです。

儀式的なお見合い結婚の文化も縮小して、自由恋愛に結婚がメインになった昨今。男女それぞれ様々な関係性が認められるようになったのは良いのだけれど、不倫や浮気が当たり前のように流行っている、この状態は何なんでしょうね。

 

アレ見聞きするたびに如何ともしがたい気持ちに苛まれませんか?だって切ないじゃない。きっと最初はさ、「あの人素敵だなあ、どんな物が好きなんだろ」とかから始まって「あ、音楽好きなんだ?あのバンド好きなん?え!俺も好き!最高だよね!!!」とか話して徐々に交流を深めて来たはずなんだ。形はそれぞれ違ったとしても、きっとこんなプロセスがあったと思うんですよ。

そうやって交流を深めて、良い部分も悪い部分も受け入れた上で、程度の差はあれど「あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら死んでも構わない、あなたの為に」と一緒に生きていく決意を固めて歩んで来たはずなんです、きっと。

 

それなのに、なぜこうも人の心はすれ違い、離れていってしまうのか。離れてしまったその距離を縮めるどころか、うつろいでいってしまうのか。人それぞれ事情は異なる為に僕のような若輩者が上から好き勝手に物申すのは生意気が過ぎる気がしますが、それでも浮気だの不倫だのは良識ある大人としてダメ!絶対!ではなかろうか。

 

そんなドロドロした思考と性欲の渦巻く世の中に何か救いはないものか。何故にそこまでしてハイリスクノーリターンなスリルを求めてしまうのか。もう誰かが傷つき涙するようなテレビや映画は見たくないよ。圧倒的救済を!圧倒的エンターテインメントを!

 

そんな暗澹たる思いの中、たまたま1本の映画を観る機会があった。シンガーソングライターのmiwa氏や俳優の坂口健太郎氏主演の映画・君と100回目の恋。

 

映画「君と100回目の恋」 [DVD]

映画「君と100回目の恋」 [DVD]

 

 

お前何でそんなん観てんだよ、JKかよ。そんなツッコミはさて置き。事故死してしまう運命にあるmiwaとその運命を変えるべく過去へとタイムリープし続ける坂口健太郎。その2人の奮闘と熱くイノセントな恋を描いたこの映画。作品自体正統派なロマンチックでポップな青春恋愛映画で、「ふーん」と作業しながら観るともなしにぼけーっと観ていたのだけれど、本筋とはあまり関係の無い部分で勝手に熱くなってしまった。

 

この2人、作中にてTHE STROBOSCORPというバンドで活動しているのだけれど、幼馴染で友達以上恋人未満な関係性。お互い内心では好き合っているけれど恋愛としては交際などの進展は無し、という設定。そんなこんなで活動しているTHE STROBOSCORPなのだが、実は同じバンドのベーシストはmiwaのことが好き、という隠れ三角関係状態。何やらドロドロな修羅場と化す予感。何それ止めて、怖いんだけど。やいベーシストよ、セコイ手を使ってmiwaと落とそうするんじゃないのか!?酒飲ませて酔わせた挙句手を出すのか!?などとゲスいことを考えていたのだけれど、こいつ、坂口健太郎に「俺、実はアイツのこと好きなんだ。。最初に幼馴染のお前に報告しておこうと思って。。」と事前報告。「何でわざわざ俺に言うん?」と返されて、「仁義は切ったからな!!!」と宣戦布告。

 

何こいつ、めっちゃ良い奴。主人公2人の恋に横やり入れてかっさらっていく悪キャラかと思いきや、ちゃんと筋は通すイケメンの鏡。三角関係という泥沼確定案件に対してどストレートに真正面から立ち向かっておる。そして最終的にはエモーションが抑えきれなくなり、人前で告白した挙句、無残にもあっけなくフラれてた。

 

しょっぺぇ。最高にしょっぱ過ぎる。でもこいつ、最高にカッコ良い。好きなあの娘は自分に興味など無く、恋敵はイケメンでギターめちゃくちゃ上手くて完璧超人でしかもあの娘の幼馴染。圧倒的に不利で正直勝ち目など少しも無い。そんな中セコくてズルい、卑劣な手を使って不倫ブームの如き、ドロドロな手法で全てを欺き持っていくかと思いきや、しっかりとした良識の元、ライバルにもキチンと筋を通して不利な状況にも真正面から立ち向かっていくスタイル。正統派だし青春だし何よりロックだと思う。ストーリー上さらっと描かれているのだけれども、本筋よりもこの展開に心を持っていかれてしまった。

 

一方ドロドロとした不倫だの浮気だののブームに気が滅入るような昨今。せめてフィクション上では、前述した彼のようなロックンロールで正統派な漢(おとこ)の登場する作品に触れたい、と思う全てのラヴァーズ達に是非とも少女漫画を読むことをオススメしたい。

 

どうやら当て馬キャラと呼ばれているらしい、こういうキャラクター。名前の通り、主人公が思いを寄せるイケメンのライバルキャラとして登場する彼ら。彼らは真面目だ。決して卑劣な手段に頼ることなく、あの娘が思いを寄せるイケメンに堂々と戦いを挑む。彼らは潔い。無残にフラれた後も決してあの娘やイケメンを恨むことなく、付き合った2人を祝福し応援したりする。彼らは優しい。いつだってあの娘の身を案じ、聞きたくないはずのイケメンとの恋の悩みもちゃんと聞いて何ならアドバイスだってしちゃう。そして何より彼らは漢(おとこ)だ。例えいい人止まりで終わろうが、1ミリも脈が無かろうが、正々堂々と戦う。

 

如何に敗北が目に見えていようとも、我々男子には戦わねばならない時がある。勝つか負けるかが重要なんじゃない、やるかやらないかが重要なんじゃ!!!そう言わんばかりの彼らの汗と涙とポリシーに毎回心を熱くさせられる。奴らの漢気に、「ナイスファイト!!」の賛辞を贈りたいし、一緒にマック行ってコーラ飲みたい。そんでその後一緒に銀杏BOYZGOING STEADY縛りでカラオケ行きたい。モンゴル800縛りでも良き。そして終電で晴れ晴れとした気持ちで一緒に帰りたい。

 

ドロドロとした出来事ばかりの報道にダウナーな気持ちにさせられることが多い今日この頃ですが、そんな心がイケメンな彼らばりの熱く青く、どこまでもピュアな気持ちで生きていきたいです。

 

と思ったらこういう所謂当て馬キャラて、主役のイケメンキャラより人気高いってパターンが多いらしいですね。いい人止まりとか書いたけど引く手あまたやんけ!

 

 (となりの怪物くん、めちゃんこ面白いので男性の方も是非)

 

本日のテーマソング

戸松遥/Q&Aリサイタル

 

 

 

戦う漢(おとこ)の歌を奏でるバンド、eastern youthの新曲MV公開に号泣

戦う漢(おとこ)の無様で泥臭くてそれでいてカッコ良い様を一貫して歌い続けるバンド、eastern youthが先日27日発売予定のニューアルバム『SONGentoJIYU』に先駆けて、新曲MVを発表した。

 

タイトルはソンゲントジユウ。この曲、もうすんげえ良い。少しも衰えることが無いどころか、前にもましてキレッキレな吉野氏の絶叫ボーカルにエモーショナルなサウンド。一聴して「あ、これは半端じゃないわ。。」と引き込まれるような、実に素晴らしい1曲なのである。以前からその素晴らしい楽曲の数々に「負けてられねぇぜ!!」と励まされ、力を貰い、涙腺を刺激され続けてきたけれど、いやあ今回も凄い。今からリリースがとても楽しみである。

 


eastern youth「ソンゲントジユウ」 ミュージックビデオ

 

ゆっくりと始まりを暗示させるようなアルペジオから、全力で爆発させるように飛び出すイントロ。もうこの時点でカッコ良い名曲確定な予感がビシバシと伝わってくるのだが、そこからこれまで以上にエモーショナルな歌声で

どう転んだって俺は俺

生まれ持った生存の実感は 誰かの手に委ねちゃいけねぇんだ

eastern youth『ソンゲントジユウ』より引用 作詞作曲吉野寿

なんてoasisのsupersonicばりにアイデンティティを高らかに歌い上げる、これぞキラーフレーズ !な素晴らし過ぎるサビへと流れ込む。更には

どんな俺だって俺は俺さ 

そうだろう

eastern youth『ソンゲントジユウ』より引用 作詞作曲吉野寿

 と高らかに絶叫してこれでもか!と全力でブチアゲながら、そこから更にオクターブ奏法を駆使した、高ぶる感情を爆発させるようなギターソロへと突入する。ゆったりとした歌い出しからの怒涛の展開。正に静と動。日本情緒溢れるワビサビの世界。それぞエモーショナル。

普段泣ける映画やドラマなどでも全く泣けないばかりに、「そういう冷たいところ嫌い」だの「そういう時意外と冷たいよね」だのと心無い暴言に心えぐられることの多い僕だけれど、涙腺崩壊確定な熱すぎる展開に、「こんなん泣いてしまうでしょ。。」とか思った。恥ずかしながら、気付けばちょっと目頭が熱くなって目から汗が止まらなくなっていた。

 

そしてまた、このMV自体も凄まじく良い。可愛いちゃんねーのアップを駆使し、可愛いちゃんねーに踊らせまくる構成のMVが多発している昨今において、おばちゃんを主役に踊らせ魅せる、まるで1本の映画を観ているようなこのカタルシス。楽曲もそうだがMVの完成度も尋常じゃなく高い。MV単体で見ても純粋に素晴らしい完成度の出来になっていると思う。

 

SONGentoJIYU

SONGentoJIYU

 

 

年々、年齢を重ねるごとに責任は増え、甘えることも泣くことも許されず気付けばクソバカでのほほんとした少年時代は過ぎて、モラトリアムな時代も終わりを告げて大人になってしまった我々。いつからか現代社会という戦いの中に放り込まれ、疲弊して摩耗しても泣くことは許されずに、後戻りも出来ずそれでも生きていかざるを得ない。そんな場所に来ているのだなぁと日々実感を噛みしめることが多いのだけれど、そんな中でもeastern youthはいつだって戦う漢(おとこ)のエモさも影も弱さも全部受け入れた上で、どこまでも生き、戦い続ける覚悟を歌っているように思う。そしてそんな覚悟はいつだって我々を奮い立たせて歩かせてくれる。

 

決して上から「頑張れ!」だとか「一緒に生きていこう!」とか言うのではなく、我々と同じ、確実に実在する世界で生の実感を踏みしめながら「まだ負けてらんねぇんだよ、まだやれんだよ俺は!!そうだろう!!?」と叫び、歌い、生きていく。どこまでも愚直で泥臭くて、そして優しくて最高にカッコ良い。いつだってこれからだって、「負けてらんねぇんだよ!!」と気合入れてやっていこうと思える。そんなeastern youthが僕は大好き。新譜、今からとても楽しみです。

 

本日のテーマソング

Jimmy Eat World/Kill

秋の夜長に、センチメンタルな夜に、俺は今日もTHE USEDを聴く

熱線激しい暑かった夏も過ぎ、季節はもう既に秋。徐々に肌寒くなってまいりましたが、皆さん如何お過ごしだろうか。四季の中で秋が最も好きな僕としては、「またライダースが着れるぜ!ドクターマーチンだって履けるぜ!」と実にウキウキな気分でいる。程よく涼しくて過ごしやすいし、鍋や秋刀魚も美味しいし、良いことばかりの季節だと思う。

 

しかし嫌気がさす程の熱線地獄の夏が過ぎ、そんな賑わいも消え去ったかのように草木が色を変えて涼しい秋になる度に、一抹の寂しさを感じるのもまた事実。なんつぅかやけに寂しく、そして人恋しくなってしまうんである。ぁたし今夜ゎひとりでぃたくなぃの。。。誰かに抱かれて眠りたぃの。。。文字にすると実におぞましい、きもいね。でもそんなkimochi。何だかやけにセンチメンタル過剰。

 

 秋にはそんな心のセンチメンタリズムを加速させるような、そんな魔物が住んでいると思う。言うなれば秋の魔物だ、絶対これ住んでる。恐ろしい。うえーん。

 

そんなセンチメンタルを加速させるような秋の夜長には、THE USEDの音楽がとてもよく合う。訳もなく震える心に実にぴったりと寄り添ってくれる。そんな訳でここ最近はちょっとどうかと思う位の頻度でTHE USEDばかり聴いているぞ、俺は。

 

The Used - The Used
 

 

かつて大ブームを巻き起こしたスクリーモ系のバンドの代表格として知られている、THE USED。「ぶっ飛ばすぜ!!」と言わんばかりにガツンと来るパワーある演奏に、全曲シンガロング出来そうな位にポップでキャッチーなメロディ。そしてそれに乗る血管ブチ切れそうな程にエモーショナルなテンションで歌い、絶叫しまくるボーカル。それでいて変にカッコつけたりスカしたような感じは無く、何となく男臭いと言うか泥臭い雰囲気。こういうの大好き、とてもカッコ良いバンドだと思う。

 

THE USEDの存在を知った高校時代、「へー、こういうのスクリーモて言うんだあ、カッコ良い~!!!」と部活の練習もそっちのけでイヤフォンで聴いてたのを思い出します。(と同時にあんま関係ないけど部活の練習くらいちゃんと参加しろや!!!とも思いました、今)

高校生だった2008年辺りのエモ系のバンドというと、シュッとしたスタイリッシュなイケメンがシュッとしたスタイリッシュな曲をシュッとした黒と白を基調にしたスタイリッシュな服装でスタイリッシュに歌い演奏しているようなイメージがあって「なんだかなあ」なんて思っていたのだけれど、(だいぶひねくれた高校生だったので、多分に偏見も混じっていると思うのであしからず)2002年デビューの彼らTHE USEDの音楽にはそうしたファッション的な空気は微塵も感じられず、購入したCDのライナーを読んだらやたら怒ってるような歌詞も多いし、「歌わなきゃ気が狂いそうだぜぇ!!!」と言わんばかりのガチンコな雰囲気がほとばしっているしで夢中になって聴いていたのを思い出します。

 

しかし、活動初期にこんな風に完成度の高いアルバムと音楽性を確立すると、後々リリースする作品において、「こういうのは求めてないんだよなあ」だの「あーなんか変わっちゃったね」だの言われるのは世のロックバンドの悲しき運命。THE USEDも例外なく、作品をリリースする度に「何か違う」だの「もっと絶叫して欲しい」だのレビューで書かれているのを目にする。

 

確かに彼らの激情ほとばしるスクリームの嵐のような楽曲に魅せられた者の一人としては、ザ・スクリーモ!な血管ブチ切れ系絶叫曲を求めてしまう気持ちは勿論ある。しかし個人的に、彼らの楽曲のキモってそもそも絶叫云々の前に時にセンチメンタルで時に疾走感のある、エモくてメロディックな楽曲にこそあるんじゃないかなーと思うのだ。

 

youtu.be

 

彼らのセカンドアルバム『In Love And Death』収録のAll That I’ve Gotなんてモロにそう。綺麗で美しい美メロに、心の奥のセンチメンタルな部分をグイグイと刺激されるような感情的な展開。大好きな1曲。

 

I'll be just fine(僕はきっと大丈夫さ)

THE USED『All That I’ve Got』より引用 作詞作曲THE USED)

 

とリフレインされるサビの歌詞もとても良い。前後の歌詞を見ると 「お前全然大丈夫じゃないじゃん!!」とツッコみたくなるような内容で、個人的には「これ全然大丈夫じゃないけど、無理して自分に言い聞かせるような感じで言ってる歌詞なのかな?」なんて思っているのだけれど、そうだとしたら更にエモい。こう、無理して強がっている男の切なさのようなものを感じてならない。

 

youtu.be

 

彼らのファーストアルバム収録のBuried Myself Alive。この曲なんかもそうで、彼らの代名詞である激情の塊のような絶叫系楽曲とは少し毛色の違う、正統派エモな雰囲気の1曲。THE USEDは一般的に語られるその激しいイメージとは違って、アルバムを通して聴くとこういった正統派エモ曲やバラード的なミドルテンポの曲が意外と多い。そして俺はそんな曲達が大好きだったりする。激しいだけではなく、こうした静と動で言うところの静の部分もしっかりと聴かせてくれる。しかも良い曲ばっかり。正にワビサビの世界。

 

人恋しくなるようなセンチメンタル過剰極まる秋の夜長は、こんな風にTHE USEDの音楽に抱かれるように時にしんみりと、時にアツく過ごすのがとても良い。言い知れぬ寂しさを感じるような夜は、読書や映画鑑賞も良いけれど、こんな風にエモい楽曲に身を委ねて過ごすのもまたオツなものです。

 

本日のテーマソング

藍坊主/テールランプ