黴ブログ

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やたらとマウントを取るのが大好きなバカ者たちへ

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普段の生活で交わす、上司や同僚、友人や家族とのコミュニケーションにおいて、こんな会話を経験したことはないだろうか。

 

「いや~最近忙しくて3時間しか寝てねぇよ~、お前は暇そうで羨ましいわぁ~、最近昇進して忙しくてさ~、まぁ毎日充実してっからいいんだけどさ~」

 

「やっぱこの年になったら身なりには気を使わないとね~、えまだ1000円カットで髪切ってるの?それはヤバいでしょ~普段有名サロンで切ってるからさ~そこは気を付けた方がいいよ~!」

 

書いてるだけでモヤモヤしてきた。俗にいう「マウンティング」「マウントを取る」と呼ばれるこうした行為に、何だかモヤモヤイライラで、悩んでいる人も多いのではないだろうか。ていうかそれ、俺だよ!モヤモヤイライラが果てしねえ。髪の毛抜けそう。

 

そんな訳で、ここ最近耳にする「マウントを取る」と呼ばれる行為について、ちょっと真面目に考えてみたい。

 

・「マウントを取る」って一体何だ!?

 

そもそも「マウントを取る」とは、一体どういう意味なのだろうか。

 

上記会話のように、他者に対して「俺の方が優れているんやで!」と暗に自身の優位性をアピールする行為を指す言葉で、動物のサルが群れの中で自身の立場をアピールするために行う習性に由来しているらしい。

 

いつの間にか世間にも浸透した感のある、この「マウンティング」「マウントを取る」と呼ばれる行為。個人的な感想を述べさせて頂くなら、もう俺はアレだ。マジうぜぇ!!知らねぇよバカ!ってなもんだ。アピールしたいのか何なのか知らねぇけど、俺を巻き込むんじゃねぇよ!!と思うし、言いたい。

 

そう、俺は怒っているのだ。こうした行為に、何よりこうした行為を行ってくるバカ野郎たちに。可能なことなら怒りのプンプンビームを炸裂させて、漫画「ドクタースランプ」のごとく、地球ごと破壊したい所存である。

 

・マウントを取りたがる人たちに俺はもううんざりじゃ!

 

怒っていると言ってもね、そんな1回2回ことで怒るほど気は短くないですよ。不思議なことに、中学高校大学と来て果ては大人になった今でも、そういうタイプの人間が多いなあということに気付いたのだ。

 

「来るもの拒まず、オールオッケー」なオープンマインドな僕の性格やスタンスが、そういった人たちの深層心理を刺激してしまうのだろうか。周囲の人間に恵まれているな~と感じる反面、常に一定数そういったタイプの人たちにも好かれてしまう。気付けば辺りは火の海、地獄絵図。もうマウント取られまくり、何かモヤモヤすんなあ~という状況になりがちだ。

 

マウントを取りたがる人たちは容赦がない。面白エピソードとして自身の失敗談などを話そうものなら、すかさず「もっとさ~こういうスタンスでいきゃあいいのに、そういうところほんとバカだと思うよ、俺はそんな時こんなスタンスでやってるよ、そういうのが大事だと思うよ、だからお前は~」などと、アドバイスからの説教が始まったりする。

 

こっちが「もっとさ~こういうスタンスでいきゃあいいのに」と言いたいくらいだよ、そんなん。もちろん、気心の知れた友人や上司からの純粋なアドバイスであれば、素直に受け入れるどころか、むしろ「貴重なアドバイスをありがとうございます!」てなものだが、この場合は何だか性質が違うように感じる。

 

言葉の陰に、見下しているような感情や優位性をアピールして自慢したい、というようなニュアンスをビシバシと感じてしまうのだ。これではモヤモヤイライラするなと言う方が難しい。もううんざりじゃ!と言いたい気持ちでいっぱいだ。誰か助けてくれ。

 

・俺的!マウントを取りたがる人への対処法

 

 

そんなマウントを取りたがる人たちの、執拗なマウンティング攻撃に、僕たちはどう対処すればいいのだろうか。思うに、単純にシカトかスルーが1番の対処法ではなかろうか。

 

彼らマウントを取りたがる人たちには、褒められたい、認められたい、なめられたくない、自身の優秀さを見せつけることで相手をコントロールしたい、という思いがあるのだろうと思う。

 

しかし、人の価値観はそれぞれだ。こちらとしては、何もそういったポイントで承認欲求を満たしてどうこうしようとは思っていない。何ならひとつひとつ問題をクリアして、周囲からはもちろん、自身をも認められるようになるのが1番いいんじゃねぇの?位に思っている。価値観の相違って奴だ。

 

何故執拗なマウンティング攻撃にモヤモヤイライラしてしまうかと言えば、そういった状況で、こちらとしては初めから同じ土俵で勝負しようとしていないのに、執拗に粘着・攻撃を受けてしまうからだ。

 

先ほどの会話を例に出せば、こちらはそもそも「失敗に絡めた面白エピソード」を話したいだけで、決して自身の能力に関する話しをしたい訳ではない。それに対して能力の優劣について批判のような返しをされれば、たちまち会話の質は変わり、見下され小バカにされた嫌な気分だけが残ってしまう。

 

しかし、そこで嫌な気持ちになる必要など本当にあるのだろうか。会話の中で、能力の優劣について話しているつもりなど、こちらは少しもないのだから。つまり、初めから彼らマウント取りたいマンと同じ土俵には立ってないのである。同じ土俵に立っていないのだから、勝負などする必要は初めからないのだ。よく言われるように、華麗にシカトかスルーを決めて、相手にしないのが1番だろう。

 

・時には戦う姿勢も大事!なのかも知れない

 

 

基本的にはシカトとスルーで、初めから相手にしないのがベストだと思うのだが、1番厄介なのが、その中で「こいつなめても大丈夫だわ!」と思われることだろう。

 

こうなってしまうと、もう本当に面倒くさい。会話の中で、時折マウントを取られて好き放題言われるのはまあ我慢出来たとして、完全に見下した態度・発言などを繰り返されようものなら、いかに森のくまさんの如く温厚な僕でも、ブチ切れ確定案件だ。キャメルクラッチからのキン肉バスターからのマッスルドッキング喰らわせたいっすね。出せるなら霊丸とかも撃ってあげたいですね。

 

もうさ、こうなったらコミュニケーションがどうこうって問題ではなくなってしまうのだ。美しき日本語の流れが完璧に崩壊。生まれるのは誰かの基準にのっとった、偽りの上下関係のみだ。もう意味分かんないですよね。そしてこういうのが大好きな奴って結構いますよね。

 

そんな時には、迷わず戦闘態勢に移る必要があるだろう。よく使われるシカトやスルーにも限度がある。コミュニケーションが完全に崩壊したとあらば、「あ、こりゃダメだな」と思ったのならば、そんな小手先の技に頼ることもないだろう。ていうか経験上、そうなったら無理です。シカトとスルーも、マウンティング上級者には少しも通用せんでな。持てる戦闘力を全て投下して、戦う必要が出てくるのだ。

 

ブチ切れか、徹底的に理屈で言い返すのか、相手の言葉のあらを探して同じように返すのか。クレバーに巧みな話術で丸め込んでしまうのも手だろう。霊丸やかめはめ波を放つジャンプヒーローの如く、自分だけの必殺技やファイティングポーズをととることが必要不可欠なのだ。

 

幽遊白書で言えば、マウントを取りたがる彼らは戸愚呂弟。僕らは浦飯幽助だ。全力で向かってくる戸愚呂弟に対して、幽助が全力の霊丸を放って勝利したように、僕らも戦わなければならない。ブチ切れという名の霊丸を撃つのか、かめはめ波を撃つ如く理論的に毅然と言い返すのか。そんな時、心にジャンプヒーローを。友情と努力と正義を。

 

彼らのように、自分だけの必殺技やファイティングポーズを持って立ち向かうのだ。ますます複雑さを極める現代社会。そうやって僕らは、血を血で洗うような戦場を颯爽と駆け抜けていかねばなるまい。って何だこの終わり。

 

ムカつく相手にガツンと言ってやるオトナの批判術

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本日のテーマソング

THE BACK HORN/戦う君よ