黴ブログ

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the pillows ストレンジカメレオンを聴いたし。マジ超泣いたし。

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普段音楽を聴いて、あまり涙を流すことのない僕だけれども、聴くたびに思わず涙腺をグイグイと刺激されてしまう、という曲がいくつかある。ひとたび耳にすれば、心の柔らかい部分を、親指で強く押されるように目から涙がボトボトと零れ落ち、「あれ、俺、なんでこんな泣いてるんだろう。こんなはずじゃなかったんだけどな。。」なんて思ってしまうのだ。

 

そんな曲のひとつが、the pillowsの名曲・ストレンジカメレオン。非常に有名な曲ゆえに、知っている方も多いことだろう。

 

高校時代、周りのJKたちが、昼の校内放送で流れるJ-popを聴きながら「ゥチこの間ァ、彼氏とケンカしてェ、そん時この曲聴いてェ、マジ超泣いたしィ~」と盛り上がる中、僕は「マジで?ヤバくね?ゥチはthe pillowsのストレンジカメレオン聴いてェ、マジ超泣いたしィ~」と心の中で相槌をよく打ったものだ。懐かしい。

 

10代の頃からストレンジカメレオンを聴くたび、僕はもうパブロフの犬かのように泣いてしまうのだ。つい先日もそうだった。たまたまイヤホンから流れたストレンジカメレオンに、不覚にも涙腺を持っていかれてしまった。

 

我々のような、オルタナティブなひねくれ野郎たちにとって、こんなに優しい歌はそうそうないだろう、と思う。どんな条件下でも、無条件で心に響いてしまうのだ。もう、心が弱っている時に聴いたならば、大変なことになってしまう。

 

 ストレンジカメレオンは、the pillowsの1997年リリースのアルバム「Please Mr.Lostman」に収録されている1曲で、ボーカル・山中さわお氏が当時抱えていた孤独感や疎外感などの苦悩が、色濃く反映されているのがとにかく印象的だ。

 

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我々が生きる現代の生活は、蹴落とし蹴落とされのマウント合戦の連続で、熾烈を極めるものだ。様々な選択肢の中から常に正解を選び取り、勝負に勝ち続けなければサバイブできない。なかなかに残酷なことも起こるのが現実だ。相手に弱みを見せることなど、もっての他だ。

 

しかし、だ。時には、高く立ちはだかるそんな壁に圧倒されて、潰されてしまうこともある。勝負に負けてしまうことも、まあ、ある。

 

その過程で「やってらんねぇぜ!」と投げ出すことも、「俺は何てダメなやつなんだ!」と非力な自分を、ブチ殺したいくらい嫌いになることもあるだろう。そりゃそうだ、て話だ。何故なら俺たちは完璧超人ではない、人間だもの。

 

心にそうした悲しみが、孤独感が、疎外感が顔を出しうなだれるその時、耳元で流れるストレンジカメレオンはやけに胸に突き刺さり、目の前の景色をかっさらっていく。何故だかポロポロと目から雫が次々と零れ落ちてくる。

 

それはきっと、ストレンジカメレオンを聴いているその時、我々もまた、歌詞にあるストレンジなカメレオンになっているからだろう。

 

そんな我々に対して、周りに順応できない自分を「出来損ないのカメレオン」だと、変われない自分は「滅びるしかない」のだと皮肉りながらも、「それでも僕は君のために優しい歌が歌いたい」と、山中さわお氏は歌う。*1

 

そこに「こうしたらいいよ!」という明確な答えもなければ、押し付けもない。あるのはただ、スランプやセールスなどの様々な葛藤を抱えながら、自身をストレンジカメレオンだと皮肉ってみせる、さわお氏の優しい歌だけだ。

 

それは、まるで長年の付き合いのある気の置けない友人が、優しさとけだるげな安心感を持って、耳元でそっと寄り添ってくれているかのような心地だ。心が悲鳴をあげた時、「こうしたらいいんじゃない?」とあれこれ指図することもなく、ただ寄り添っていてくれること程、嬉しくて泣きそうになることはない。

 

いつか僕が、寂しきストレンジカメレオンと化した時は、きっとこの曲を聴くことだろう。そしてまた高校時代のように、心の中でそっと、「マジ超泣いたし」とポツリつぶやくのだ。

 

Please Mr.Lostman

Please Mr.Lostman

 

 

本日のテーマソング

supercell/星が瞬くこんな夜に

 

 

 

 

 

*1:アンダーラインの歌詞部分は、「ストレンジカメレオン」(作詞作曲・山中さわお)より引用