黴ブログ

好きなものやことを、徒然なるまま書き散らす。

「泣かされる」より俺は勝手に「感動」したい

先日、映画館にて「君の膵臓を食べたい」という映画を観てきました。インターネッツによると、現在の注目作品ランキング堂々2位と中々に流行しているご様子。ベストセラー小説が原作で、意味深なタイトルに「ラスト、きっとこのタイトルに涙する」なんてキャッチコピーも付いていて、個人的に割と期待大の映画だった。少年時代のセンチメンタルな思い出を巡る青春映画で、感動的なストーリーのとても良い作品だったのだけれど、ラストシーンで呆気に取られてしまった。あんまり良くない方の意味で。(以下ネタバレしてしまうかも、ご注意下さい。)

 

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理由は単純で、「え、『ラスト、きっとこのタイトルに涙する。』て言ってたやん!!割とラストさらっとしてるやん!!!」って思ってしまったから。「ラスト、きっとこのタイトルに涙する。」の文句から「ラストシーンでこれまでの伏線とか全部鮮やかに回収した挙句、名作ミステリーばりの想像の斜め上をいく大どんでん返しが待ってるんだろうな~涙枯れ果てるくらい泣いちゃうんだろうな~やべ~超エモいやん〜」なんてことを考えてしまっていたのが原因だ。所謂自分の中の期待値が尋常じゃなく高くなりすぎて、内容が勝手に期待外れになってしまうパターン。

 

振り返れば、本でも映画でも僕はこのパターンで拍子抜けしてしまうことが多い。て言うか大体がそのパターン。その度に「何でや!!俺だって感動したいやん!!俺の感性はどうなっているんだ!!?ちっっくしょ〜!!!」とへこんで自虐的な気持ちになったりする。コレ、何でだろうな〜と考えてみたら、割と簡単に答えが出た。極めて単純な理由。要は強制的に泣かされるよりも、自分自身の感性で作品からエナジーを受け取って勝手に感動したいのだろうなー、と。

 

こうした類の作品によくある、「こんな展開、お前ら絶対泣くやろ??オラァ泣けコラァ、ここで美しい涙流してみんかい!こんな演出、涙溢れるやろ??オラァ!」と言わんばかりの泣きの演出に逆に冷めてしまっているのだろうな、と思う。決して作品の悪口や批判をしたい訳じゃないよ。作品に罪はない。全てひねくれた俺のねじ曲がった根性が原因だよ、こんなん。キレたお母さんに「あんたのそういうひねくれた所、私大嫌い!!!」と暴言を吐かれたこともあるよ、冷たい人間の仲間入りだよ、俺みたいなもんは。

 

しかしそれでも、僕はやっぱり作品に強制的に泣かされるより、勝手に感動したいと思う。作品と自分自身の感性と向き合って、作品から溢れるパワーやエナジーをひねくれ切った中でも純粋な、心の柔らかい部分で受信して元気を出したり、熱い気持ちになったり、涙を流したいと思う。かつて大槻ケンヂの小説、グミ・チョコレート・パインを読んで、青春とエモーションとコンプレックスと泥に溢れた文章に、まるで自分のことが書かれているような気持ちになって、全編を通して涙が止まらなくなった時のように。花沢健吾の漫画ボーイズオンザランの5巻で、主人公の友人のボクサーが負け続きの試合から逃げて風俗巡り旅行する回で、「さっき買った娘、俺の腹筋割れてるの見てほほえんでくれたんや。俺、ボクサーやったわ。」って言ってまた試合に出て戦おうと決意するシーン読んだ時のように。公私共に色々あって荒れていた際に、LOSTAGEのいいこと/離別って曲を聴いて「もう関係ねぇわ、好きにやったるわ」と思えた時のように。我ながらなんて自分勝手な奴だろう、と呆れる気持ちもあるけれど、それでもそんな風に自分のフィーリングで感じ取って、勝手に感動したいと思う。そんな風に作品に向き合っていきたいっす。

 

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

グミ・チョコレート・パイン グミ編 (角川文庫)

 

 

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