黴ブログ

好きなものやことを、徒然なるまま書き散らす。

摩耗してひび割れゆく毎日に 心のアイドルを持つべし!

ソーシャルゲームの「アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージ」にハマっている。リズムゲームを楽しみつつ、好きなキャラをトップアイドルに育成していくというゲームなのだが、これが面白い。最近は推しのアイドル・高垣楓さんの担当プロデューサーの称号を手に入れたばかりだ。

 

ふとした空き時間などにポチポチと遊んでいるエンジョイ勢なのだが、プレイしていると「アイドルは素晴らしいナア」なんてことを思う。そう、アイドルってのはとっても素敵だ。何故って我々一般のボンクラ的男子諸君の理想を体現した、選ばれし究極の存在だからだ。常に憧れ、指標となる完全な女性像。それがアイドル。なりたい!と言って簡単になれるものではない。

 

良い年した大人が「アイドル!アイドル!」言ってるのもどうなんだ?という声も聞こえてきそうだが、俺は思う。良い年した大人だからこそ、いつも心の中に唯一無二のアイドルを持っていたい、と。

 

 

「心の中にアイドル?何言ってんだ!」「お前もう立派な大人だろ?いい加減現実を見ろよ!」嗚呼、心の中のやじ馬が罵声を飛ばしてくるのが聞こえる。確かに10代20代前半の若い男女であれば、こうした一種のアイドル信仰も可愛げがあるだろう。「俺彼女いるし…」「昔は好きだったけど、今はそんなに興味ないや…」僕と同年代のアラサー以降になると、こんな風に思う方々が大半だろうと思う。

 

しかし、だからこそだ。青春のときめきや煌めく感性を失いつつある大人だからこそ、自身の理想を具現化した自分だけのアイドル、そう「心のアイドル」が心の片隅には必要なのだ。

 

「心のアイドル」とは、誰に言う訳でもなく自分の心の中にいつもいる、理想であり指標であり憧れでもある、自身を全肯定して背中を押しくれる存在のことだ。

 

最近ツイッターで「心にハム太郎を持つと良い」という旨のツイートがブームになっているが、意味合い的には非常に近い。「心のアイドル」とは、自分の心の中にいつもいて、光とそしてわずかなときめきを与えてくれる存在なのだ。故に芸能人や実際のアイドルでなくとも問題ない。好きなアニメキャラや気になる隣の部署の事務のあの娘、とかでも無問題だ。要は自身にとって「何だか良いナア、素敵だナア」と感じられる存在であれば良いのだ。あなたにとって、それが唯一無二の「心のアイドル」なのだ。

 

まあ偉そうにつらつらと語ってきましたが、要するに「妄想しまくってテンション上げようゼ!!」ってことなんですけどね。わあ、こう言うとすげぇバカっぽい。高2の夏の男子(彼女無し)の淡い期待くらいバカっぽい。「夏祭り行けば新体操部のあの娘と偶然会って、ミラクル起きて仲良くなれねぇかな!?」的なバカさがある。

 

でもそんな妄想によって湧いてくるエナジーって、中々バカに出来ないところありますよね。少なくとも僕は、そう思う。

 

高2の夏の男子(彼女無し)の淡い期待だって妄想と言われればその通りだが、その妄想によって、我々男子は精一杯のオシャレをして街に繰り出したのではないか。頭の中で「もしあの娘に会った時用の会話」をシミュレートして。結果ミラクルは起きず、むしろイケメンと一緒にいるところ見ちゃったりして「やってらんねぇわ」っつって帰ることになるんだけど、我々はそうした妄想の繰り返しによって世界と繋がり、大人の男に成長してきたのだ。

 

そう。妄想は俺たち元ボンクラ男子にとって、かつてない程に強い原動力なのだ。年々衰えていく感性に、ひび割れ摩耗していく毎日に。心のアイドルを想うことで抗いたいのだ。そしてそんな妄想が与えてくれるエナジーで、元気に生きていきたいのだ。

 

だからこそ僕は想像する。もしも漫画的ミラクルによって、346プロダクション高垣楓さんの担当プロデューサーに転生したならば。

 

きっと僕は言うだろう。「アイドルなんだから自覚を持って、あまり居酒屋で泥酔したりしちゃダメですよ」「文春砲で撃たれちゃいますよ」と。しかし呆れながらも、僕は泥酔して眠る彼女を、毎晩タクシーで家へ送り届けるのだろう。肩にもたれかかるその暖かな体温と「でも何か良いナア」という優しい空気を感じながら。

 

って何だこの妄想。想像力豊か過ぎか。後がよろしいようで。

 

THE IDOLM@STER CINDERELLA MATER 恋が咲く季節

THE IDOLM@STER CINDERELLA MATER 恋が咲く季節

 

 

本日のテーマソング

ガガガSP/線香花火